このまえ、アルコールインクアートをしたときのこと。
開始までにあれこれ紆余曲折がありました。
〇時~〇時の間でお好きな時間にどうぞ、という話だったので
朝仕事を1つ入れて、終わり次第行こうと思っていて
友人が途中で合流して拾っていってくれるという話になっていた。
前日になって、主催する人が「自分もモーニングに参加して良いですか?」と言ってきたんだけど
そしたらその後また移動して絵を描く時間がなくなるから、絵を描いた後ランチ行こうと相談して話がまとまった。
ここまでが前提。
当日、開催場所に行ったら誰もいなくて??
どこにいるの?とLINEしたら「今サンドイッチ作ってるから遅れる」と返ってきて???
おまけに講師の人に場所の変更を連絡してなかったらしく、最初の予定場所から移動してもらってると言われ????
本当に意味がわからない。
友人と一緒でなかったら、私はその時点で「じゃあ帰るね」ってなってた、たぶん。
でも友人は「車の中で暖かくして待ってればいい」というし
講師の人は「あれ?って思ったけど、まあTちゃん(主催の人)だからしょうがないか」って笑ってて
みんな他人に寛容なんだなと思った。そして自分はやっぱり短気だわ、と。
その日は、絵を描いたり宇宙語が楽しかったので怒りを引きずることなく帰ったんですが。
昨日ふと、(私から見て)あんなにいい加減でも、みんなそれを許しているんだな
彼女は自分自身がそんな風に許されて存在することを知った方がいいし
許されていることにもっと感謝した方がいい、と思ったんですよね。
で、それを説教がましく言ってやろうとした瞬間
そうじゃない、と気が付いた。
彼女の問題じゃない、私の問題だ、と。
自慢じゃないが、私はちゃんとしていると思う。
約束したことや打ち合わせたことを忘れたりしないし
予定の時間にいろいろなことがスムーズにいくように段取りもするし
必要な準備も前もってちゃんとやっている。
だから台無しにされて腹が立つ。
私はちゃんとやっているんだからあなたもやって当たり前、と思い
できない人を責めたくなる。なのに周りの人はできない人を責めないどころか
笑って許している。
自分がしたくてもできないことを、あたりまえにされたとき人は怒りを感じるそうだ。
私にはできないのに、あなたはズルい!と。
まさにこれだよなぁ。
この日の出来事は、その人に対して「ちゃんとやりなさいよ!」という怒りではなくて
こんなふうに緩やかに生きることを自分に許していないことへの怒りなんだなって。
もっと頑張らなくていい方へ、もっと肩の力を抜く方へ
シフトしていけっていうことなんだろうな。
許されている存在だと知るのも、許されていることに感謝するのも、私の方だ。