引き寄せとか、物事を現実化するって
特殊な力を持った人がなんだかものすごいことをする
みたいなイメージがあったんですけど、なんか最近ちょっと認識が変わってきました。
この前熊野に行ったとき、東名に乗ったらいきなりの事故渋滞で
予定を1時間半くらいオーバーしたんですよ。
もともとスケジュールもびっしり組んでいて、どうなる?っていう感じだったけど
結果何一つスキップすることなく行程をこなして、最終的に宿に着いたのは
予定時刻の10分遅れというミラクル。
立ち寄った先で滞在時間をすごく削ったというわけでもない。
なんなら集合時間20分遅れで次の目的地へ、みたいな場面もあった。
最後に寄った熊野本宮大社から宿までの移動のどこかで
ワープしたとしか思えない。
この前の奈良旅行でもそうだったけど、渋滞しているときから
「でも最終的には全部うまくことが運んでなるようになる」と
一緒にいた全員がなんとなくそう思っていたから
そういう現実を創造したんだろうな、と。
こうして文字にすると怪しいけど、乗っていた全員(20人超)が
「あれってミラクルだよね」と口々に言って驚いていたのだから
あの時間を共有した人にとっては紛れもない事実。
引き寄せの話とかすると、よく「願えば叶う」みたいなことを言うけど
あれは正しくて、正しくない。
ただ単純にふわふわと「こうなったらいいなぁ~」だけでは叶わない。
まず初めに自分の立ち位置を定める(自分軸を立てる)
次に、こうなりたい、こうしたいという願いを出す。
そうすると、その目標を作るために現実の方が動き出す。
よく、車のナビとかにも例えられるよね。
私はこの話を聞いていて、回転寿司みたいだなと思った。
ただ座って流れてくるものを食べるという選択肢もあるけど
それだと絶対にこれが食べたい!というものが回ってくる保証はない。
運よく回ってくるときもあるし、狙っていたのがほかの人に取られることもある。
それは自分が現実(外側)に振り回されている状態。
本当にこれが欲しいという願いがあるなら
ちゃんとタッチパネルで選んで、注文すると食べたいお寿司がちゃんと手に入る。
つまりレーンを回っているお寿司は過去で
食べたいものを決めて注文するのが今で
意図したものが届けられるのが未来 ってこと。
このお寿司を食べる、という未来を先に決める。
人間は肉体という質量があるから、意図する(注文する)ことと現実化(お寿司が届く)ことの間には若干のタイムラグがある。
だから注文したものが届く前にレーンを回っているお寿司は過去
自分はただそこにいて届くのを待っていればいい。
引き寄せとか現実化とか、すごく小難しく捉えていたし
そういう話をすると、え~スピなの?何かの宗教なの?
みたいに怪しいぶっ飛んだものと思われちゃうんじゃないかって思ってたけど
単純に、ただ欲しいものを「欲しい」というシンプルなことで
それを他人がどう思うかも気にしなくていいんだというのが理解できた。
すごい極論だけど、風の時代の二極化ってこういう話を
あーわかる!ってなるか、え?なにそれってなるかの違いなのかもな~。