昨日、脳というか意識の仕組みについての本を読んだんです。
人間には知らず知らず作り上げた思考のパターン(所謂マイルール)があって
何かのきっかけでそのパターンに気づくと手放すことができるんだけど、
人間には「ホメオスタシス」という、物事を一定に保っておきたい・慣れ親しんだ状態を
キープしておきたいという恒常性が備わっているので
長年持っていた思考パターンを手放したりすると、
それをまた元に戻そうという力が働きます。
ダイエットしたときのリバウンドとかがそうだよね。
思考パターンの場合、揺り戻しはその人にとって一番弱いところに来ます。
つまり最も感情を揺さぶられるような出来事として現れる。
「怒り」の人もいれば「悲しみ」の人もいるし「自分が我慢すればいい」が
発動する人もいる。
そんな内容の本を読んで、なるほど!と思ったその夜。
グループLINEで最近の出来事をシェアする流れになったんですよ。
こんな出来事があってね、という投げかけに皆で会話をしていくと
最終的に、「これってこういう意味があったのかもしれないね」と気づくパターン。
職業柄か、もともとの資質か
私の周りにはスピ系の人が多いと思います。表立って活動してるとかじゃなくても
出来事から気付きを得るのが上手い人たち。
LINEのトークを追いながら、あ~これってさっき読んだ本の内容そのままだ
みんなそれをちゃんと感じて気づけてすごいな、なんて思っていました。
ええ、完全に他人事ですね。
そしたらやっぱり、私の身にも起きました。
「あ、このパターン身に覚えがある」という感覚。
当たり前ですよね、集合意識が繋がっていて、なおかつ時間や空間を共有している仲間なら
私だって当事者なんだから。
話はそれますが、私は過去に全く別の人から全く同じことを言われたことがあります。
『あかねさんの体は、私を大事に扱え!と言っている』と。
身体がそんなことを言うかどうかの真偽はともかく、
私個人はなんとなくそれを信じています。
そしてこの「覚えのあるパターン」は、他人から雑な扱いを受けるという形で発現します。
私好き勝手生きているようで、意外と根の深いところで
社会のルールは守るべき とか 私が我慢すればいいとか思ってるみたいです。
先日の旅行に行く前もすごく罪悪感があって、掘り下げてみたら
主婦として母としての役割を全うしなくてはならない
病気の人を置いて自分だけが楽しむべきでない みたいな概念がいっぱい出てきて
我ながらあ~あと嘆息したんですけどね。まだあるのか。
大事に扱って欲しいというのは、なにも特別扱いされたいとか
ちやほやされたいということではなくてね(されれば嬉しいですけど)
対等に・敬意を持って接して欲しいっていうことなんですよ。
ぞんざいに扱われたりするのは嫌。
でも私が自分をぞんざいに扱っているから、そういう現象がおこるってことですもんね。。
ふと思ったんですけど
相手に〇〇された、と思って被害者になってるうちはダメなんでしょうね。
自分が自分を大事にしていないから、大事にされない現象が起こるわけで
真っ先にやらないといけないのは、相手を責めることじゃなくて自分のご機嫌を取ること。
行きたい・やりたい・食べたい・会いたいという心の欲求にシンプルに応えてあげること。
逆に言えば、何度も揺り戻しが来る問題というのは
それだけ自分にとって大きな転換点ということですからね、
向き合うだけの価値はあります。